私はある会社のコールセンターで派遣社員として働いていました。
二十人弱いた同僚のスタッフはわたしと同じ派遣。みんな仲が良く働きやすかったんですが、一つ問題が……
マネージャーのNさんがちょっとクセ者だったのです。
仕事ぶりは完璧なのですが、超がつくほど意固地。
なにより近寄りがたいオーラをいつも発散している。
スタッフの飲み会にすら顔を出したこともないし、ランチもいつも一人。
さらに、忙しくてパンクしそうでも自分の仕事を絶対に他のスタッフに任せようとしないのです。
同僚たちは「Nさんは私達派遣のことを見下しているのよ」なんて陰でささやいていました。
Nさんの真意はわかりません。
ただわたしは小さい頃から心の探究に興味があり、Nさんのことも、『なんでそんな風にふるまうのかな』とちょっと興味をもって観察していた気がします。
その当時、心の探究が高じて、いろんな宗教を体験したあと、真如苑に行き始めた頃で、『接心』でさまざまなヒントをいただいていけることが大好きでした。
でも振り返ると、ヒントをもらっても、毎日に生かしていたかしら、と思うと、自信がありません。他人のために行動して真実を悟る――という真如の教えとはかけ離れたものでした。
そんな中、職場で事件が発生。
Nさんがぎっくり腰で何日もお休みすることになったのです。
Nさんの代役として来た社員さんは、Nさんよりも明るくて、コミュニケーションも長けているので、スタッフもはじめのうちは喜んでいました。
でも、しばらくすると「ここのスタッフは能力が低い」「Nに甘やかされてきたせいだ」と小言を言い始めたのです。
言われてみると確かに私たちは自覚していないミスをかなりしていたようです。
Nさんが黙って陰でカバーしてくれていたのでしょう、みんな「そんなミスをしていたっけ」とびっくりしました。Nさんのありがたみがちょっと見えた瞬間でした。
しばらく経って、Nさんはまだ完治していないのに職場に戻ってきました。
仕事ぶりや、スタッフとの接し方は以前と同じ。
でも、背中の痛みをこらえて、顔を歪めているのが痛々しく見えました。
あまりつらそうなので、みんなで相談し、Nさんに直談判しにいきました。 私たちに仕事を分担して欲しい――と。
Nさんはにべもなく「その必要はないです。みなさんは自分の仕事をキチンとこなしてくれればいい」と答えました。
終業後、憂さ晴らしに入った居酒屋で、同僚たちは口々に「私たちを信用していないんだ」「性格が歪んでいる!」とNさんへの文句を言っていました。
わたしは、なんだか釈然とせずその輪の中に入れませんでした。Nさんの気持ちは、どこにあるのかな…ということが、気にかかっていました。
そんな頃、私はある接心で、「周りからたくさん与えていただいているあなたが、今度は、人のために与えていける自分になっていくことですよ」とアドバイスをいただいたのです。
『一人で頑張るNさんに、何かしてあげたい!』私は、自分になにができるかな、と考えました。
ふと、痛みに顔をゆがめるNさんの顔を思い出して、『そうだ!背中にフィットするクッションを作ろう!』
母に手伝ってもらって、形を工夫した、ちょっと可愛いクッションを作ってみることにしました。
そして休み明け、出勤してきたNさんにクッションを見せて話しました。
「背中をこうやって支えると、腰痛がちょっと楽になると思うんです。みんなつらいんです、Nさんの痛そうな顔を見るのが。スタッフにいい仕事をさせるためにもどうかお願いします」
Nさんは「ありがとう。でも、大丈夫だから」と答えました。
でも、がっかりはしませんでした。照れくさそうな、それでいて嬉しそうなNさんの顔を初めて見られたから。
そして、ランチから帰ってくると、Nさんの席にはクッションが置かれていました!!!
それからです、Nさんと少しずつ、仕事のこと以外の話もするようになりました。
Nさんが以前の職場で、思わぬ誤解からつらい思いをした経験などを聞くと、人には見えない思いがあるんだなと思いました。
今ではクッションは必要なくなりました。そして、Nさんも少しずつ変わってきました。
みんなと気軽に会話し、自分の仕事を他のスタッフに頼むようになっていました。
真如苑でよく言われる「相手を変えるなら、自分を変えること」というのはこういうことだったのかもしれません。
クッションをつくることで、世界が変わるわけではありません。
でも、冷たい上司だと思っていたNさんのやわらかな一面をみつけられました。
そして、私が変わって、Nさんも変わっていったのです。
きっかけは、私の行動だったのは間違いありません。
わたしは今も、新しい一歩を踏み出せるよう心がけています。